三途の川 正式名称は葬頭川。別名「三途の川」「三途河」「三瀬川」「渡り川」 此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。一般的に仏教の概念の1つと思われがちだが、実際は仏教に民間信仰が多分に混じって生まれた概念である。 オリジナルの仏教の教義にはなく中国で変容した際に付け加えられた話である。 三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。 これは「善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る」とされていた。 平安時代に「橋を渡る」という概念が消え、「船で渡る」というものに変わる。 三途の川のモデルは群馬県の利根川水系、千葉県の一宮川水系、宮城県の阿武隈川水系、青森県の正津川がモデルとされている。 このモデルとなった地域は、蝦夷と呼ばれる民族が住んでいた地域で中央の朝廷に反抗していた。蝦夷の人を鬼と呼んでいた事。 童話の桃太郎が退治したとする鬼は蝦夷の事だとする説。 これらを考えると「三途の川が関東、東北地域の理由」「三途の川に鬼がいて重罪人を叩き落とす」というのは蝦夷の人を鬼とし、邪魔物として考えられていたことがわかる。 |